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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「升天入地求之遍」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる夕霧邸の匂宮と薫の君(椎本・絵巻)
閉じる舟で演奏しながら姫君邸に向かう匂宮
閉じる八の宮の家系図(大君・中の君)
閉じる京都・三室寺(八の宮の別荘のモデル)
閉じる宇治平等院(夕霧の別荘のモデル)
オススメ度 4.4点
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自筆「源氏物語」の「椎本(しいがもと)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。■國際秘密力研究叢書第10冊。
出品した「源氏物語」は椎本(しいがもと)の内容の要旨
「椎本」(しいがもと)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようになる。翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆくのであった。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。椎本の原文の中に匂宮の「おちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風」とい和歌がある。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
「椎本」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】
という漢詩文の落款が押捺されている。》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と宇治八の宮の姫君(中の君・大君)の物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の迎えに八の宮邸に来る》
《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》
《薫の君、弁の君から昔語りを聞き、帰京》
《返々(かへすかへす)》・・・・あかすかな(悲)しく思さる。かゝる御とふらひなと、また訪れきこゆる
人たになき御ありさまなるは、ものおほえぬ御心地ともにも、
年ころの御心はへのあはれなめりしなとをも、思ひ知りたまふ。
こゝにも、お(老)い人・・・・《にことにことよせて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と八の宮(桐壺帝の皇子・朱雀天皇の皇太子)の姫君(中の君・大君)の恋物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬参り(長谷寺参詣)の帰途、宇治・八の宮邸に立ち寄る》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)姫君(大君・中の君)の将来を案じる》
《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》
《中納言(薫の君)殿は、八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)のご最後のことを
お聞きになって、まことにあっけなく残念に思われ、もう一度ゆっくりと
お話し申しあげたかったことのたくさん残っているような気がした。宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮)が、
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮)「再びお目にかかることは、
むずかしいのでは」
などとおっしゃっておられた。
中納言(薫の君)殿は、阿闍梨のところへも、姫君(大君・中の君)たちへの
ご訪問も懇ろにお申しあげになる。
世間普通の親子の別れでさえも、そのときには、誰しもまたとないこととばかり
ただ途方にくれるものであろうが、もともと身寄りもなく慰むすべもなさそうな
お二人とて、どんなお気持でいらっしゃることだろうと、
中納言(薫の君)はお思いやりになっては、後々の御行事など、なさらねばならぬ
あれこれのことを見計らって、阿闍梨のところへも布施のものをお持たせになる。》
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Beneath the Oak (椎本)》
He sent long and detailed letters to the abbot and the princesses.
Having received no other such message, the princesses,
though still benumbed with grief, knew once
again what kindness they had known over the years.
The loss of a father is never easy, thought Kaoru, and it must
be very cruel indeed for two ladies quite alone in the world.
He had had the foresight to send the abbot offerings
and provisions for the services, and he also saw,
through the old woman, that there were ample offerings at the Uji villa.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。File:神武天皇 媛蹈鞴五十鈴媛命 emperor Jimmu and。源氏物語(五十二)蜻蛉 | 言の葉つむぎ。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。Amazon.co.jp: 後宮香妃物語 鳳凰の将軍と愛しき定め (角川。十二神獣の転生妃 最凶虎皇子の後宮から逃げ出したい!」石川。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。。聖徳太子十七ヶ條憲法并未来記/徳失鏡 寛永九年十月十六日寫。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。0024512 復古夢物語 初編 乾坤 松村春輔著 一曜斎國輝画 文永堂 大嶋屋傳右衛門 明治16年。中華民国期 林徽因 信箋 1枚 検索: 詩人 写真 花箋 才女 唐本 漢籍 古文書 建築家 上海九華堂 木板刷 徐志摩 梁啓超 梁思成 北平 書家 水印。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。■美品 希少 明治42年(1909年)印刷発行■発売所:金桜堂 写真石版縮冊 懐中義太夫 合計15縮冊(『鎌倉三代記』』『義士忠臣蔵』他)。和本 音例 斎必簡。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。古書 昭和47年 「定本 木下夕爾全集」 *牧羊社 函入り。■極希少 美品 1946年 (昭和21年) 発行 初版!富岳本社刊 詞華集 日本の花 木版画:前川千帆、川上澄生、川西英ほか 編者:恩地孝四郎。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。今尾景三の手紙 真筆 鉄斎、御舟ほか大家10人の評、記述あり H0827C。松尾芭蕉懐紙幅 俳諧 芭蕉自筆口上。また、各巻ごとの書かれた年については不明。昭和七年・上海事変/歩三五補充隊/第一次上海事変/昭和7年満州事変から世界の目をそらすため日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。1930年/徳芸字典/中華民国19年/初版/上海良友図書 検索:漢文/典籍/唐本/漢籍/本物保証/在銘/四書五経/漢詩/支那/古書局/古籍/善本/戦役。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。改正新刻 帝国京都名所図絵 全 明治24年 風月庄左衛門 片岡賢三。日露戦役海軍写真集・第3集・海軍省認可/50図/明治38年/The Russo-Japanese Naval War Album/皆開戦以来我が海軍の戦闘及び運動の光景/日英。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。華道 池坊 免許状(A048)。@1942年 支那 文学芸術考 検索:書道 唐伯虎 仇英 何紹基 黄公望 孔尚任 敦煌 劉知遠 宋朝 清朝 唐画 生写真 玻璃版 蘇東坡 米元章 山水画。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。倭節用悉改袋増字 俟野通尚 纂補 西川祐信 遺筆 法橋西村中和 速水春暁斎 画 等 倭節用悉改袋。済斎詩鈔・乾坤/山田準・山田済斎・明治-昭和時代前期の漢学者/非売品/昭和15年/山田方谷の孫娘と結婚・陽明学研究の王学会を主宰/和装本。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。月瀬記勝・2冊/斎藤拙堂/明治17年/現奈良市月ヶ瀬は江戸時代中期頃から名勝地として知られるようになって多くの文人墨客がこの地を訪れた。1934年 満洲国 地理 計46頁 検索:軍事 地図 洋行 日支事変 南満鉄 総督府 溥儀 関東軍 GHQ 蒋介石 軍閥 張作霖 北大営 汪精衛 支那 生写真。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。梓川農業水利沿革史 前編 昭和3年 梓川農業水利期成同盟会 非売品 劣化滲み有。玉邨詩よう藁 訂正増補 附印譜 柚木玉邨。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。@1907年 女子外国新地理 検索:支那 唐本 漢籍 唐物 戦前風景 阿片 清帝国 総督府 朝鮮 台湾 満州 事変 清朝 生写真 図版 古建築。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。■『今次大戰と裏のニュース【世界猶太情報】』國際政經學會調査部譯編。昭和16年初版凾付。政經書房刊。。【 廣重画 保永堂版 大錦東海道五十三次 】 アサヒ企画発行 【M-238】。二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。中華民国期統税印照 検:朱印公印官印/古文書/故紙古紙漢文/唐本漢籍/国民党革命軍/南軍/金融証券/小切手/上海/印紙/印花税票/銭荘票号/手形。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。吾妻百人一首(P144)。0026106 冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 秋田屋勘右衛門 寛政7年 伊丹屋善兵衛。翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。★R-045453 江戸期 後撰和歌集 2冊(和本、古文書)。賴朝一代記 豊亭牛眠作 芳信画 草双紙。年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。武田流兵法書(仮題) 瀧川先生・幽山先生 甲陽軍艦論軍法。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。高田町史 昭和8年 初版 高田町教育会 良書刊行会 和綴。Y-0111 建武中興を中心としたる信濃勤王史攷 復刻版 上巻・下巻 2冊セット 信濃史学会 昭和52年12月10日/昭和53年7月31日復刻。
原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。四書 5冊(P145)。0026656 田舎荘子 6冊 丹羽樗山 享保12年。漢詩のは「天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求め」という故事に由来する。@1927年 紅縁記 検索: 支那 傳奇 桃花扇 艶情 艶談 紅閨記 游仙窟 桃花源 閨門 秘術 閨房 香閨 剣仙傳 善本 古籍 木刻 木版刷 禁書 線装本。御江戸図説集覧。これは、匂宮と中の君の間を歌い「私たちの間に隔つとも宇治の川風よ私たちを親しくさせてください」と意味で、楊貴妃の魂を尋ね求める」ことにも通じる。▲仏教本▲釋勝如▲戦前▲昭二▲古書▲貴重▲資料▲。★『上詞・人相覚(安政四年)2枚セット』 高杉晋作/平野次郎/西郷吉之助(隆盛)/手配書/偽文書/西郷どん/。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。秋山白巖展 生誕150年記念 日本近代書道の源泉 雄心 作品集 あきやまはくがん 書家。本朝世事談綺・世事談・3冊/菊岡沾涼/江戸時代民間常用の器物等の起源を記した事物起源辞典とも言うべき書物/絵入和装本/歳時・生植・能芸。
《自筆上部の原本自筆上部に原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。【旧家蔵出し】★古書『瓶華図 まとめて18枚』明治期 池坊専明 池坊専正★(検:うぶだし/古文書/生け花/華道/木版画/当時物)-2。【一部写本の可能性あり】 論語徴 10冊セット(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸) 物茂卿(荻生徂徠) 東都書林 松本新六・善兵衛 発行年不明。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【旧家蔵出し】★希少 古書『家元四十一世専明瓶華之集』明治期 池坊専明★(検:うぶだし/生け花/華道/和綴じ本/木版画/当時物)-5。紋典 昭和七年(P084)。
《自筆上部の原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること
遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。昭和11年 16版発行 ペン字對照 手紙大辞典 大西貞治 河野成光館。稀少、英文の間に和訳を挿入『挿訳英吉利会話篇』初編・二編・三編の全3冊、明治5年。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。中国1937年古書/回教認一論/馬瑞図/中華書局 検索:支那古本/国幣/線装本/哲学/唐本漢籍/木版刷/漢文/漢詩/漢学/中文書/古籍/善本/碑刻法帖。@1927年 孫文の支那 検索:北京刊 古建築 GHQ 禁書 生写真 軍閥 革命党 中華民国 蒋介石 汪精衛 張作霖 張宗昌 孫傅芳 閻錫山 事変 満州国。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。@1841年 三体詩 検索: 支那 唐本 漢籍 漢文 漢詩 唐詩 宋朝 漢学 和本 和紙 木版刷 木板 写刻 木刻本 善本 水印 古籍 筒子頁 官本 線装本。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。古書 習画百題 全5冊 木版彩色摺 安値で出品。0024326 蝦夷日誌 3冊揃 松浦武四郎 日本古典全集 正宗敦夫編 昭和3-4年 非売品 文庫サイズ 正宗白鳥。
阿闍梨のもとにも、君たちの御とふらゝひも、こまやかに
聞こえたまふ。弘化五年 和本 懐玉御和讃 全 京都 丁子屋 江戸期 古文書 仏教 真宗 経本 和讃。防長名蹟・山口県写真帖/明治41年/写真師・麻生亮/山口県庁・歩兵第42連隊・豊栄神社・山口高等商業学校・東行庵・住吉神社・御幸松/和装本。
「世の常のほとの別れたに、さしあたりては、またゝくひなき
やうにのみ、皆人の思ひ惑ふものなめるを、慰むかたなけなる
御身ともにて、いかやうなる心地ともしたまふらむ」
と思しやりつゝ、後の御わさなと、あるへきことゝも、
推し量りて、阿闍梨にも訪らひたまふ。@1933年 二晏詞 検索: 唐本 漢籍 宋詞 支那 新文学 漢詩 漢文 漢学 唐詩 宋詞 元曲 善本 線装本 中華民国 古籍 木版刷 木刻本 竹紙 排印。アジア写真集・全6冊/南太平洋諸島・南海の明暗・熱帯植物産業写真集・印度・満州農業図誌・朝鮮博覧会記念写真帖/貴重写真資料の宝庫です。
中納言(薫の君)殿は、おおかた人の世の無常をあれこれ思い続けずにはいらっしゃれ
ないので、ひどくお泣きになる。御家中列帳 信州上田藩士分限帳 寛政七年九月改。東照権現十五箇條 キリシタン弾圧史料 慶長18年5月奉行文書。
やはり常日ごろのお気持としても、朝と夕の間さえあてにならぬ人の世のはかなさを、
人一倍強く感じていらっしゃったお方であるから、いつものお言葉と聞いていて、
まさか昨日今日のうちにこうしたことになろうとは思いもよらなかったのを、
かえすがえすも中納言(薫の君)殿は、》・・・・・たまらなく悲しくお感じになる。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。古文書 江戸期 地所帳 市村 北海部郡 大分県。こうしたご訪問など、
中納言(薫の君)のほかに申しあげる人もないご境遇とあっては、悲しみにくれて
なんのご分別もつかぬ姫君(大君・中の君)たちのお心にも、これまでのご親切の
しみじみとしたありがたさなども、改めてよくお分りになる。再住方廣開堂法 深奥山方廣萬寿禅寺開堂拙語 文政12 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代静岡県浜松市浜名区 禅宗仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗NY。楽しい我が家のお料理 櫻井ちか子 実業之日本社 大正ロマン ヴィンテージ アンティーク ビンテージ 古書 本 大正 当時物 レア 料理本。
またこちらのお邸にも、年老いた女房たちへ・・・・・《という体裁にして、
御誦経のお布施などのことも気をくばっておあげになる。031【レトロ雑貨】時代物 仏書 仏教 六祖法宝壇経 法宝壇経 上下 2冊揃 万暦甲申12年 1584年 古本 古書 和本。【都市より田園へ】函付 天野藤男 洛陽堂発行 大正4年発行 戦前 古書。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。古文書 蔵出し 文書、享保、安房?表裏書付、金子借用書、明和、水門落札書付、上州?普請、蒐集家。類聚名義抄佛中/類聚名義抄佛下・本末/類聚名義抄篇目/4冊/11世紀末から12世紀頃に日本で成立した漢字を引くための辞書・字書/法相宗の学僧。
《柯根(椎本)》
便遣使赴阿梨山寺及女公子山庄隆重吊。1948年 天津隆遠銀號 支票 検索⇒銀票 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印紅印 銀銭票 荘票。
山庄中除了薰君以外,竟无吊客上,
光景好不凄凉。位女公子已心意乱,
也深感薰君多年以来的美意。明治期 「観世流 謡本 3冊セット」 お能 謡曲。死是世常有之事,
但在身当其事者看来,悲痛无可比。
何况位女公子身世孤,无人相慰,
更不知何等心。人物群像 日本の歴史 全15巻 学研。薰君深感同情,
推想王故后做功德,便多供物品,
送交阿梨山寺。山庄方面,也送去多布施物品,
托付那老侍女理,十分周至。大糸線 昭和21年、25年の災害調査写真資料 生写真40葉以上。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。●極上和本YM2812●新撰百人一首 西村茂樹 明治16年 西阪成一注 原装・美本 ゆうパック着払い。
左の写真が「源氏物語」椎本の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。大正7年第6版凾付。竹生英堂發兌。後半「忍術魔法術」縷々詳述。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。異常は正常を拡大して見せてくれる 『異常心理学講座』 みすず書房刊。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。1934年 華僑銀行 小切手 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票 荘票。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「椎本の巻」末尾の拡大写真。0035318 首書 詩経集註 巻1-7 7冊 (巻8欠) 朱熹集伝 江戸刊。
上の篆書体は、「升天入地求之遍」【天にのぼり地に入りてこれを求めることあまねし】の押印。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。●極上和本YM2778●教訓世中百首 世中百首絵鈔 天保2年序 荒木田守武 度会延佳 天保2年[伊勢]豊宮崎文庫蔵板 往来物 教訓 和歌 極美本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(椎本の巻)MRI 46―17B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。『國文學十二種 佛語解釋』 (明治時代 仏教辞典) 【著者】織田得能【発行所】光融館。
「源氏物語」「椎本の巻」主人公・椎本の資料
下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と匂宮と薫の君。
「源氏物語絵巻 」椎本(大分美術館所蔵)舟に乗り、楽器を弾きながら
八の宮邸に向かう匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君。●極上和本YM2802●収納往来(元治元年)年貢収納に関する稀書往来物。邸の中は大君と中の君
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「椎本」原本に記されております。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「椎本の巻」を書いていることがわかります。百人一首一夕話 9巻 完本 江戸期。この原詩の言葉の引用は、「椎本の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。1939年 松坂屋 名作同人 和服図録 着物 呉服 検索: 友禅 小紋 振袖 型染 和装 帯 写真集 日本伝統工芸 織物 銀彩 染物 浴衣 留袖 図鑑 原色。
「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。0035314 世説雜話 全4冊揃 烏有道人 田原屋平兵衛 宝暦4年。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。●極上和本YM2932●〈新板〉大坂進・返状 元禄頃刊 藤田板 稀書往来物 美本。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。明治? 大正? 江戸時代風? 教科書? ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 昭和 レトロ 絵入 古美術 古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。和本 箋註蒙求 上・中・下 3冊。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。《古本》 えほん百科 全6巻 平凡社。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。1946年 聚興誠銀行 支票 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印 銀銭票 荘票。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。郷土部隊写真帖/支那事変聖戦記念/陸海軍空爆日誌/昭和13年。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。肉筆花鳥雙六(仮題) 江戸中後期寫。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。古文書時代鑑 上下セット。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。明治24年売薬許可 検索:神奈川県 役所朱印 古文書 公文 官庁許可書類 公式証書 古本古書和本 江戸時代物当時物 希少貴重。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。深奥山方廣萬寿禅寺再住持入寺拙語 慶應3 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。●極上和本YM2885●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉B 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。1936年 影本 集字聖教序 王義之 検索⇒珂羅版 玻璃版 旧拓 書道法帖 支那 印譜 法書 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 黄庭堅 趙子昴。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。●極上和本YM2782●修斉訓 山本邦好 西谷良恵 安政4年 斎政館蔵板 往来物・教訓 書袋付 極美本。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。古文書「神祇道諸祓巻 上」肉筆 明治期 1点物 祝詞体系 折本 神道 経典 祝詞 神名 産土 戦前 資料 和本。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。深奥山方廣萬寿禅寺入寺拙語 安永8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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